ネットの不具合

Essay

とある日、いつものように作業をしていると、前触れもなくネット回線の接続が切れた。そういうことは、まま起こることだし、LANの機器を再起動したりすればすぐに復旧するだろうと思っていた。しかし、機器を再起動してもうんともすんともいわない。しばらくたってもネットに接続されない。静かだ。遠くの方から自動車のエンジン音が聞こえてくる。

これはおかしいと、どういうエラーなのかを探そうとしたが、うっかりPCに向かっている自分に気づいた。仕方なしに僕は久々にアナログな手法をとり、棚の奥から家電の保証書のファイルを探しだして機器の説明書に記されている故障した際の連絡先へ電話をかけた。

いつ終わるとも知れないAI音声との問答が続いていく。説明の分岐を結構先に進んだのちにメールでのやりとりに変わっていった。

最初から相手が人だったら伝えられるのにとやきもきしていたが、これは時の流れというものなのか予算を削減の一環のだろう。ほとんどの応対をAIに任されているようだ。

ようやく人からの連絡が来たのは事象が発生して8時間くらい経過した後だった。場所が地方だということもあるけれど、ここまで待たされるとは思っていなかった。

まあ、それはさておき、今回の出来事で収穫はあった。待っている間、無意識にネットを使おうとしている自分の無意識さに気づいたのだ。ここまでくると中毒と同じである。ひょっとしたらネットから離れなさいと神様がくれた啓示なのかもしれない。

その日は散歩をして夕飯を食べた後、久々に本を読むことにした。満腹だったのでうとうとしてしまい、少し眠ってしまった。それはそれで幸せな時間が過ぎていった。

ちょっと誤算だったのは、音楽もネットに依存していたことだ。以前はCDで聴くことができたけれど、今はCDデッキはないし、PCにわざわざ外付けの読み取り装置をつけて聴くのはかなり面倒だ。そいういうわけで無音の状態のままとなった。これは結構きつかった。僕の場合日常で音楽を聴くのは結構なウェイトを占めていたのだ。

さて、睡眠の後、手持ちぶさたのためにゲームをすることにした。Switchでスーパールイージだ。これは難しすぎじゃないかな。次は帰ってきた魔界村。一面もクリアできない。なかなか歯応えがあるではないか。

しばらくして時計を見るとまだ22:30くらいだった。

結構白熱していた気がするけれど、それほど時間が経っていないことに驚いた。驚くほどゆっくりと時が流れている。ネットにそれだけ依存していたのだなあと改めて実感した。だからといってネットが害悪だといってるわけではなく、それ以外でできることの大切さを再確認できたわけだ。このことを発見できただけでもよしとすることにした。

どうやらこんかい不具合を起こしていたのは僕自身のようだ。

それから僕は回線を切られたように眠りについた。

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