雑草魂

Essay

雑草魂という言葉があるのをご存知だろうか?
なんとなく「雑草のようにへこたれずにいこう」というスローガンのような意味合いだったと思う。

この雑草、実際は非常に厄介で、冬の間は枯れているが、春を過ぎた頃になるとものすごく生えてくる。へこたれることなんかまずなく、無限わきしてくる。
そのため、そのまま手を入れないでいると家の外周から畑まで大変なことになる。半年ほど放置するとほとんど荒地になってしまうほどだ。小さな雑草が、虫を呼び、虫が鳥や小動物を、そしてそれが猪などの中規模サイズの害獣を呼んでしまう。

つまり、『放置』という行為が、幾何級数的な広がりをみせ、地形に膨大な変化をもたらすのだ。
だからと言って雑草を除去するために除草剤を使用すると土地がダメになってしまう。そのため必然的に鎌を使うことになる。もちろん電動のものだ。

一息に全部刈ることはしない。草は生え続けるものなので、定期的な散髪をしていると思った方がいいかもしれない。それに、体力的なものを考えて、部分部分を小分けにして時間と労力を分散させる方法を取る方が長続きする。

雑草狩りのオリンピック種目があったら1日で済ませるかもしれないが、そうする必要もないし、する気もない。少しずつ進ませて、少しずつ終わらせるようにすると、前よりは幾分ましな景色になっている。

この考え方はけっこう応用が効く。することが多いなら分散させて、それを1日にちょっとずつ進ませる。すると、いつの間にか完成していることがある。時間はかかるかもしれないが確実にゴールに到着できる方法だ。

最近よく目にするコスパとかタイパという考え方と真逆の発想なのかもしれない。

しかし、そういうのがパンクでいいじゃないだろうか?

そんなことを考えながら、窓からちょっとだけすっきりした景色を眺めながらコーヒーを飲んだ。

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